あの日の憧れを形に 伝統の熊工マーチングを50年以上指導する原 幸雄コーチに密着 (23/08/10 19:00)

あの日の憧れを形に 伝統の熊工マーチングを50年以上指導する原 幸雄コーチに密着 (23/08/10 19:00)

あの日の憧れを形に 伝統の熊工マーチングを50年以上指導する原 幸雄コーチに密着 (23/08/10 19:00)

12日土曜日、熊本市のえがお健康スタジアムで『第50回記念くまもとマーチングフェスティバル』が開催されます。

第1回から連続出場する県立熊本工業高校吹奏楽部、そして、50年以上に渡って指導する原幸雄コーチにスポットを当てます。

(8月6日)
県立熊本工業高校吹奏楽部です。8月12日に開催される『第50回記念くまもとマーチングフェスティバル』に出場します。

7月下旬に熊本県吹奏楽コンクールが終わったばかりで、動きのコンテが決まったのは数日前だといいます。

【上級生が指導する様子】
「しっかり前の人を見て。並んで前を向いたまましっかり足を出して横、斜め、並びましょう」
「はい!」

【北里 莉玖 部長】
「『スカード』という5人くらいのグループに分かれて一つ一つ動きを覚えて通している状態です。練習は厳しいですけれども、見てくださる方が『すごかった』と言ってくださるので、そういうときにやっていてよかったと思います」

北里莉玖部長は小学5年生のときに『くまもとマーチングフェスティバル』で熊工のマーチングを初めて見て、とても感動したといいます。

【北里 莉玖 部長】
「小学生の頃から熊本工業でマーチングをしたいと思っていて、50回という記念すべきマーチングフェスティバルに出ることはとても光栄に感じています」

(2000年/千葉・幕張メッセ 全日本マーチングフェスティバル)
「男性的」といわれてきた熊工マーチング。

【演技中のかけ声】
「オゥッ!」

以前は太いかけ声を強調するため、細い声の女子は口パクでした。

しかし、現在、女子部員の数は男子の2倍以上です。

「(太い声で)オゥッ!」
今では女子も出すようになったかけ声は、かなり太い声です。

【宮川 ひなの 副部長】
「気合が入るので、結構みんな元気に好きにやってます。中学二年生のときに定期演奏会で熊工の演技とかを見て『ここ行きたいなあ』とその時にパッと思って、自分の中では憧れみたいな存在だったところに自分がいるのがまだ信じられないというかああ、この中に自分がいるんだなと」

(木陰で休憩する部員たち)
厳しい暑さのもとでの練習。塩分を多めに摂ったり、仮眠したり、体調管理が重要です。

この熊工吹奏楽部を50年以上にわたって指導している男性がいます。

原 幸雄コーチ、71歳。熊工吹奏楽部のOBです。

子どもの頃から音楽が大好きで、吹奏楽部で青春を謳歌しました。1971年に卒業。就職した静岡の楽器メーカーの吹奏楽団でマーチングに出合いました。

【原 幸雄コーチ】
「まだ、その当時は日本でそんなにマーチングをやっていなくて、これはもう母校の後輩たちにどうしても教えてあげたいという気持ちになったものですから、その頃、夜行列車に揺られて何回か(熊本に)帰って指導していたわけです」

楽器をかける紐はズボンのベルトから。衣装は学生服から自分たちで作りました。
そして、熊工吹奏楽部第8回定期演奏会のステージでマーチングを披露。やがて、原さんは楽器メーカーを退職して、後輩たちの指導に専念するようになりました。

(マーチングで大事なことは)
【原 幸雄さん】
「仲間を大切にすることです。それができていないと、やはりいい音楽もできないし、マーチングのチームプレイもできないと思うんです。だからまずそこから技術指導の前に徹底してやるということです」

【第1回大会】
1974年、第1回の『くまもとマーチングフェスティバル』です。熊工吹奏楽部はこの第1回からこれまで連続出場しています。

【原 幸雄コーチ】
「連続で出場している団体は2団体しかないんです。熊工と菊陽中学校と。先輩方が築いてこられたものをなんとか自分たちが守り抜きたいという、そんな思いもあると思いますのでとても張り切って練習しています」
(練習を見て)
「かっこいい、べリーグッド、ベリーナイス」

【コンテを見ながら女子部員と話す原コーチ】
「この1列目が並んでいて、ここから、このバンドの人たちの後ろに行くので」
「間に合わない?」
「走れば大丈夫です」

【原 幸雄コーチ】
「子供たちは覚えるの早いですね。こちらが一晩中苦労して書いたコンテを明くる日30分で覚えてると、ちょっと複雑な心境になりますが、もうちょっと苦労して覚えてくれという感じです」

50年以上にわたって母校の後輩を支える原 幸雄さん。熊工吹奏楽部に入った理由は中学生のとき、その定期演奏会を聴いて心を動かされたからでした。憧れを形にしてきたのは後輩たちだけではありませんでした。

【原 幸雄コーチ】
「つま先を上げるか、こうするのか決めて。どうする?どっちがいい?みんなで決めてみて」

(2019年8月/えがお健康スタジアム)
【原 幸雄コーチ】
「食べるもん食べたらちゃんと仕事するんだぞ」
「はーい」

【マーチングフェスティバルを手伝う熊工吹奏楽部の卒業生たち】
「(部員の)やりたいことを優先というか、こっちの気持ち優先でしてくださるから」
「優しいです・・・なんかもう、おじいちゃん的な(笑)」

(2019年8月/第46回マーチングフェスティバル リハーサル)
原さんの一人娘、優子さんも熊工吹奏楽部で指導を受けた1人です。優子さんは吹奏楽部の指導を手伝っています。

【大窪 優子さん】
「もう家ではきつそうにしていて、『もう若い者に任せる』とか毎日言っているけれど、指導し始めたら、『並ばんか!』とか言っている。元気にしていますよね。『親子で、親子で』と言われるんですが、私もマーチングの指導の勉強をずっとしているから尊敬する指導者として、原さんのつくりたいように私は打楽器なので『こうして』と言われたら、それに必死に応えて、もっと良くしていこうという感じでやってます」

【原 幸雄コーチ】
「この『マーチングフェスティバル』を見て、熊工でマーチングやりたいとかそういう子供さんも増えてきました。子供たちのパワーをもらってください。満足させる演技にしたいと張り切っていますので、よろしくお願いします」

伝統の熊工マーチング、憧れを形にしてきた若者たちの情熱あふれる晴れ舞台を
ぜひご覧ください。

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