自分を形づくる人々〜人生は多生の縁〜《令和5年6月組御講》【本門佛立宗・隆宣寺】

自分を形づくる人々〜人生は多生の縁〜《令和5年6月組御講》【本門佛立宗・隆宣寺】

自分を形づくる人々〜人生は多生の縁〜《令和5年6月組御講》【本門佛立宗・隆宣寺】

仏教では「どんな出会いにも理由がある」と教えます。たとえば、街に出れば見知らぬ人と何度もすれ違いますが、その一人ひとりとの出会いにも理由があります。つまり、訳ありな関係だということ。そう思うと、家族として生まれ合わせるというのは、ちょっとやそっとの関係ではないことがわかります。

では、どんな理由があって訳ありの関係になっているのでしょうか。そのことをわかりやすく表現しているのが「袖振り合うも多生の縁」という言葉。どんな出会いにも「縁がある」ということですが、ここで重要なのが【多生】という部分。「たしょう」という音だけを聞くと【多少】と勘違いする方が多いようです。しかし、多生の縁は「多かれ少なかれ」というシンプルな関係ではなく、もっと複雑で奥深い関係を意味しています。

多生の反対は【一生】です。一生の縁であれば、今回の人生だけで終わってしまう縁。後にも先にも無い、まさに一回こっきりの縁です。反対に多生の縁は、後にも先にも続きがある縁。つまり、今回の出会いは前世から続く縁であり、来世にも続く縁だということ。いわば、私たちの人生におけるあらゆる出会いは全て「訳あって続いてきた関係」であり「これからもずっと続く関係」なのです。

#本門佛立宗#隆宣寺#松本良光#多生の縁#他生の縁#先祖#出会い#訳ありな関係

出会いカテゴリの最新記事